2011.11.12 Saturday
浅田真央という人。
私は浅田真央という人が好きだ。
二度ほどアイスショーを見に行ったのも、彼女が滑るところを見たかったからだ。
自分の目指すところに向かって、淡々と進んでいく彼女を見るのが大好きだ。
笑顔を見るとホッとする。
彼女が笑うと、こっちまで嬉しくなる。
テレビやネットに出ているとつい見てしまう。
本も写真集も買った。CDも買ったw
でも、私は彼女が滑っているのはそんなに好きじゃないんじゃないかと思い始めた。
嫌いなのではない。
ただ滑っているのを見ているのは、幸福感があふれようでずっと見ていたいくらいなのだが・・・
少し話がそれるが、私はバレエも時々見たりする。
詳しいとか、そういうんじゃなくて、ただ見ているだけなのだが。
ローザンヌ国際バレエコンクールという、バレエのコンクールをNHKが放送したりするのだが、それは普通のバレエのバリエーションと、コンテンポラリーという古典バレエではない、モダンダンスなんかの抽象的なダンスの両方をダンサーは踊らなくてはならない。
自分はそのコンテンポラリーダンスが苦手だ。
何を表現しているのかがわからないと、落ち着かないのだ。ダンスの中に意味を求めたい人だ。
一つの腕の振り、一つの足運び、首の角度、すべてのものがマイムであってほしいのだ。
「そんな無茶な」
といわれるのは分かっているのだがwしょうがない。感覚的なものだ。
そんなわけで、フィギュアスケートにおいても、意味を求めてしまうのはどうしようもない自分の癖のようなもので、そんなわけで、見ていて好きなのは高橋大輔選手や、鈴木明子選手や、レイチェル=フラット選手のような、劇場型といわれるタイプのショー風なスケートをする人が好きなのだ。
(その割にキムヨナさんは好きでないのは、どこに理由があるのだろうか・・・内容かな。見ていて退屈だったからな・・・)
さて、そこで浅田真央選手が出てくる。
自分が見るに、彼女はコンテンポラリーの人ではないか?と思い始めている。
妖精のような、という形容詞をよく使われている彼女は、いつも抽象的なものを表現しているように見える。
はかなげななにか。月の光だったり、少女の「可憐さ」だったり。
少女や、妖精「を」演じるのではなくて、その「形容詞」を演じているように見える。
苦手だ。
いや、好きなのだが・・・
意味が分からないのに、目が離せないのだ。
それは結構、なんというか、じれったくて、もやもやするのだ。
自分が一番好きだったプログラムはオリンピックで演じた「鐘」だ。
空をふわふわ漂うきれいなものが、地上に降りてきた感じがして、うれしかったのだ。そして、オリンピックの時の演技は、こちらに何か訴えかけてくるようなものがあった。
次はオリンピックの時の「仮面舞踏会」デビュッタントバージョン。あれはちゃんと少女だった気がして、うれしかった。
それはとにもかくにも、自分の中にイメージができたから。
仮面舞踏会の毒殺されバージョンは嫌いではないけど「はまってないなぁ」という印象だった。
前シーズンのタンゴは、「だめだな」と思ってみていた。
個人的に、タンゴという曲は情念の曲だと思っているから。アルゼンチンタンゴの印象が強すぎるのかもしれないがw男女の仲の駆け引き、というような、人間臭い音楽がタンゴだと思っているのに、彼女のタンゴはそこにちっとも添わなかった。
愛の夢は、あぁ、やっぱり空に戻るのだなぁ・・・とさみしくなった。
自分の嗜好に沿わないから、彼女はだめだというのではもちろんなくて、見てしまうし、彼女は好きなのだが、しっくりこない、という点で尻のすわりが悪いなぁと思っている、という話。
今シーズンが始まる前のTHE ICEを見に行って、彼女のプログラムに涙が出た。
彼女の存在は自分にそこまでの影響を与えている。
そして、NHK杯を見た。
「シェヘラザート」は「かわいい魔女ジニー」っぽくかわいかった。(残念ながら、このドラマをちゃんと見たことはない。タイトルのイメージのみの使用であるw言い換えれば、リアルあくびちゃんでもいい。byハクション大魔王)自分のイメージした、残虐な王を知恵で鎮める王妃、という印象は持たなかった。妹の語るお話の、声の具現のようだと思った。
愛の夢は愛の夢だった。
やはり彼女は、人間にはならないのだな、と感じた。
どちらも自分にはテレビの画面を超えてこちらに届くものがなかったのだ。
彼女がジャッジ席にアピールしているのをあまり見たことがない。
視線はいつも観客席を素通りして、ここではないどこかを見ているように見える。
向き合っているのは彼女自身で、そこは試合会場というよりも、オルゴールの中のようなのだ。
ふたを開けると、きれいな音楽とともに、くるくるバレリーナが躍るあのオルゴール。
あのバレリーナは決してふたを開けた人にアピールしない。ただ、くるくると回る。
彼女は「きれいなスケーターになりたい」と言っていたとどこかで見たような気がする。
すでにきれいな存在だと思う。それは姿かたちだけでなく、混じりけのない探究者として。
妖精のような、綺麗な物のままでももちろんいいけれど、人間という存在を演じるバリエーションがあってもいいよな、とも思うのだが・・・。
小塚選手が浅田選手を見て、練習に対して真剣に取り組むようになったとかいう話をよく目にしたけれど、同じように浅田選手も、外にアピールする、というところに目をつけている小塚選手に影響を受けてはくれまいか・・・。
そんなことを思っていたりする。
こんな風に思う自分の思いなんかに決して沿わないだろうところが、彼女のいいところなんだろうなぁ、とも思いつつ、いつか自分が泣いて喜ぶようなプログラムに出会う日が来るだろうかとも思ったりして、これからもずっと見続けちゃうんだろうなぁ、とも思っている。
二度ほどアイスショーを見に行ったのも、彼女が滑るところを見たかったからだ。
自分の目指すところに向かって、淡々と進んでいく彼女を見るのが大好きだ。
笑顔を見るとホッとする。
彼女が笑うと、こっちまで嬉しくなる。
テレビやネットに出ているとつい見てしまう。
本も写真集も買った。CDも買ったw
でも、私は彼女が滑っているのはそんなに好きじゃないんじゃないかと思い始めた。
嫌いなのではない。
ただ滑っているのを見ているのは、幸福感があふれようでずっと見ていたいくらいなのだが・・・
少し話がそれるが、私はバレエも時々見たりする。
詳しいとか、そういうんじゃなくて、ただ見ているだけなのだが。
ローザンヌ国際バレエコンクールという、バレエのコンクールをNHKが放送したりするのだが、それは普通のバレエのバリエーションと、コンテンポラリーという古典バレエではない、モダンダンスなんかの抽象的なダンスの両方をダンサーは踊らなくてはならない。
自分はそのコンテンポラリーダンスが苦手だ。
何を表現しているのかがわからないと、落ち着かないのだ。ダンスの中に意味を求めたい人だ。
一つの腕の振り、一つの足運び、首の角度、すべてのものがマイムであってほしいのだ。
「そんな無茶な」
といわれるのは分かっているのだがwしょうがない。感覚的なものだ。
そんなわけで、フィギュアスケートにおいても、意味を求めてしまうのはどうしようもない自分の癖のようなもので、そんなわけで、見ていて好きなのは高橋大輔選手や、鈴木明子選手や、レイチェル=フラット選手のような、劇場型といわれるタイプのショー風なスケートをする人が好きなのだ。
(その割にキムヨナさんは好きでないのは、どこに理由があるのだろうか・・・内容かな。見ていて退屈だったからな・・・)
さて、そこで浅田真央選手が出てくる。
自分が見るに、彼女はコンテンポラリーの人ではないか?と思い始めている。
妖精のような、という形容詞をよく使われている彼女は、いつも抽象的なものを表現しているように見える。
はかなげななにか。月の光だったり、少女の「可憐さ」だったり。
少女や、妖精「を」演じるのではなくて、その「形容詞」を演じているように見える。
苦手だ。
いや、好きなのだが・・・
意味が分からないのに、目が離せないのだ。
それは結構、なんというか、じれったくて、もやもやするのだ。
自分が一番好きだったプログラムはオリンピックで演じた「鐘」だ。
空をふわふわ漂うきれいなものが、地上に降りてきた感じがして、うれしかったのだ。そして、オリンピックの時の演技は、こちらに何か訴えかけてくるようなものがあった。
次はオリンピックの時の「仮面舞踏会」デビュッタントバージョン。あれはちゃんと少女だった気がして、うれしかった。
それはとにもかくにも、自分の中にイメージができたから。
仮面舞踏会の毒殺されバージョンは嫌いではないけど「はまってないなぁ」という印象だった。
前シーズンのタンゴは、「だめだな」と思ってみていた。
個人的に、タンゴという曲は情念の曲だと思っているから。アルゼンチンタンゴの印象が強すぎるのかもしれないがw男女の仲の駆け引き、というような、人間臭い音楽がタンゴだと思っているのに、彼女のタンゴはそこにちっとも添わなかった。
愛の夢は、あぁ、やっぱり空に戻るのだなぁ・・・とさみしくなった。
自分の嗜好に沿わないから、彼女はだめだというのではもちろんなくて、見てしまうし、彼女は好きなのだが、しっくりこない、という点で尻のすわりが悪いなぁと思っている、という話。
今シーズンが始まる前のTHE ICEを見に行って、彼女のプログラムに涙が出た。
彼女の存在は自分にそこまでの影響を与えている。
そして、NHK杯を見た。
「シェヘラザート」は「かわいい魔女ジニー」っぽくかわいかった。(残念ながら、このドラマをちゃんと見たことはない。タイトルのイメージのみの使用であるw言い換えれば、リアルあくびちゃんでもいい。byハクション大魔王)自分のイメージした、残虐な王を知恵で鎮める王妃、という印象は持たなかった。妹の語るお話の、声の具現のようだと思った。
愛の夢は愛の夢だった。
やはり彼女は、人間にはならないのだな、と感じた。
どちらも自分にはテレビの画面を超えてこちらに届くものがなかったのだ。
彼女がジャッジ席にアピールしているのをあまり見たことがない。
視線はいつも観客席を素通りして、ここではないどこかを見ているように見える。
向き合っているのは彼女自身で、そこは試合会場というよりも、オルゴールの中のようなのだ。
ふたを開けると、きれいな音楽とともに、くるくるバレリーナが躍るあのオルゴール。
あのバレリーナは決してふたを開けた人にアピールしない。ただ、くるくると回る。
彼女は「きれいなスケーターになりたい」と言っていたとどこかで見たような気がする。
すでにきれいな存在だと思う。それは姿かたちだけでなく、混じりけのない探究者として。
妖精のような、綺麗な物のままでももちろんいいけれど、人間という存在を演じるバリエーションがあってもいいよな、とも思うのだが・・・。
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